ひきこもり高校生の雑記

元不登校のひきこもりが、たわいもない青臭い記事を適当な頻度で書いていくブログ。

センシティブ奮闘記 #1 ブランコ編

前回のオリエンテーション的なやつは全然オリエンテーションの意味をなしていなかったな。

 

本文

人の目を極度に気にしてしまうこの性格をどう克服するべきか。

 

「そうだ!ごり押し脳筋プレイで、無理矢理慣らそう!✴️」

 

ということで、普通の人でもそれは恥ずかしく感じるだろって事を積極的にやっていくことにした。

 

今回はブランコ編だ。

 

唐突ですが、皆さんは幼い頃人の目を気にすることなく楽しくブランコを漕いでいましたよね。

 

しかし、今では「嗚呼、ブランコ漕ぎてぇよぉ」と思っても人の目を気にしてブランコを漕がずにいる。

 

珍妙である。

 

自分の素直な気持ちに対して目をつぶるのは如何なものか。ブランコを漕ぎたいのなら人の目を気にせずに漕ぎゃいい。

 

自分の住んでいる地域よりも少し離れたブランコのある公園へと歩を進めた。

 

そして、身を震わせながらもなんとかブランコのイスに座ることに成功。

 

コロナ禍であったのがまだ幸いだった。マスクをすることができた。

 

イヤホンとマスクと、普段かけやしないメガネ、ヘアバンドも身につけ、漕いでみることにする。

 

これが思った以上に恍惚なのだ。

 

大好きなアッパーの曲を聴きながら、ブランコで三半規管をバグらせて体がたゆたう。

 

「嗚呼、夢の中にいるようだ。」

 

だけれどふと通行人がこちらをゴミを見るような目で見つめてくると、一瞬にして現実に引き戻される。

 

「何やってんだあいつ、キモw」

 

誰かに笑われている気がした。そりゃそうだ、謎のガリガリの高校生がこんな時間(19:00)に1人で何をやってんだ。

まさに僕自身が珍妙にして滑稽なのではないか。

通り過ぎる人々に対しておぞましい気持ちで一杯だった。

 

「いや、でも僕は強くなると決めたんだ。自分の気持ちに素直になれ。」

 

恍惚と羞恥がいったりきたりして頭がおかしくなりそうだ。

 

てか、ガリガリすぎてブランコの固いイスに長時間座っているとお尻が痛くなってきて帰りたくなった。

 

「帰ろ。」

 

帰った。

 

1回目終了。

 

無事自宅へ帰還しやがった。

 

案外有頂天になれて、ヘドバンしながら漕げてたから「またブランコ漕ぎてぇよぉ」と思うようになった。

 

それからというもの、度々ブランコをヘドバンしながら漕いでいくにつれて、気づいたらブランコが楽しみのひとつになっていたし、人の目なんてどうでも良くなっていた。時には小学生が遊んでるのに混じって漕いだりもした。

 

やはり、この陰気さ、繊細さを克服するためには飛び級していくのが手っ取り早いというのがわかった。

 

次はマックでスマイルくださいと言いに行くぞ!

 

オチが無いが、めんどいからこのへんで。

 

ブランコ編 完

 

P.S.

ここまで読んでくれたあなたが大好きです。

(媚を売ってみる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己啓発プログラム的なのにはまりそうになった話

Blogger Watchdog on Twitter: "クロ現サロン養分女子18歳。背中は押せども責任は取らないサロン主催の大人の甘言を盲信して退学、身内の心配には笑顔で「古い考え」。10年後くらいにこの子がどう暮らしているか実に楽しみなので、ぜひ追跡取材を。… "

↑こんなツイートが流れてきて、ふと過去の自分を思い出した。

最近はオンラインサロンなるものが流行っているらしい。

僕のキナクサセンサーが反応してしまう。

 

でも「まぁそういうのにはまってしまう人がいるのも分からんでもないな」と思う。自分も過去にはまりかけたことがあったからだ。その時の話をしよう。

 

自己啓発系のものは中学生ぐらいの時にもう冷めた。

 

本文

僕はひきこもってネットやゲームに明け暮れる日々を過ごしていた。そんな生活をしていると、とある自己啓発系のYouTuber(なんとなく名前はふせるけれどまあ知ってる人は知っている)を見つけた。

 

その人の言っていることは所々抽象的で、どこか違和感を感じずにはいられなかった。

内容をちゃんと理解できない。ちんぷんかんぷん。

 

だけれど、その人の仕草や口調、物腰はどこかその当時病んでいた中学生の僕には魅力的に見えて、違和感を感じながらも、そんなものはそっちのけで、YouTubeの動画で宣伝されていた自己啓発プログラムのサイトへと飛んだ。

 

そのページを一通り見た途端、僕は感動してしまった。

 

「これにお金を払えば社会のリーダー的存在になれるんだ!幸せが確約されたんだ!」とその当時のうぶな僕はそう本気で思い込んで親に伝えてみることに。

 

親に「これ(自己啓発プログラム)をやってみたいんだ!」と言ってみたところ。

 

父親が「俺、自己啓発は胡散臭くて嫌いなんだよ」とか「この定額のお金(月1万円)を払った挙げ句、何も得られなかった時どうするの?」と言われてハッと我に帰った。

 

さっきまでの期待に胸を膨らませ、理想の自分を思い描く事に夢中になっていた自分が途端に恥ずかしく感じた。

 

これまで、得をすることばかりを考えていたが、「これがもし中身が空っぽっでお金を払った後になってから『騙された、損した』っていう気持ちになったとしたら?」と仮定してみた時、やる気は一気に失せた。

 

その人は、良くなるとだけ言い続けていて、デメリットというか、見られたくない所には蓋をしている感がこの時にちゃんと理解できたように思えた。

 

こういうことだったのか。

幻想を見させることで金づるにさせるのか。

 

(まあでも実際にお金を払って自己啓発プログラムを受けた訳ではないから、もしかしたらお金を払った先には輝かしい未来が待っているのかもしれないけれど笑)

 

どこか自分の違和感が正しかったのではないかと思ってしまう。

 

うまく言語化できないのだけれど、これらの経験のお陰か、キナクサセンサーが身に付いた気がする。この経験以降、どこかキナクサさを感じるものに対してはキナクサセンサーが反応する身体になってしまった。

 

自分の違和感は信じるようにしている。

 

という話でした。

特に何が言いたいとかっていうのがある訳ではないのだけれど、体験談を書いてみたかったので書いてみました。

ろくに義務教育を受けていないが故に乱文が過ぎると思われますが、ここまで読んでくれたあなたが好きです。じゃ👋。

 

センシティブ奮闘記 #0 オリエンテーション的なやつ

僕は驚くほど人の目を気にしがちで、それをある程度は克服したいと思った故、日常生活で心がけていることやそれを実行した後どういう気持ちになったのかとか、諸々を気が向いた時に記していこうと思った。

 

けど今はなんか徹夜で頭がぼーっとしているので文章を書くのがもうめんどくさくなってきた。うんこうんこ。じゃあな。

 

 

 

 

 

 

 

シュミレーションと反省会

人と話す前には必ずシュミレーションをして、話し終わった後に必ず反省会をしてしまう謎の癖について書いていこう。

 

人見知りなので、相手に変に思われないかどうかを気にしてしまう節がある。あたふたしてしまい、相手からみて何が言いたいのかよくわからないと思われるのは避けたい。のでまずはシュミレーションをする。

 

例えばコンビニにしても絶対にレジ袋やらポイントカードやら質問をしてくるから入る前から答えを用意しておく。

 

以下脳内劇場↓

 

脳内店員「ピッ、ピッ、いくらいくら円になります。レジ袋はお付けしますか。」

 

脳内の脳内わし(よしこういう展開になったら答えを容易しておくぞ。ここはお願いしますと言おう。)

 

脳内わし「お願いします。」

 

脳内の脳内わし(ここで小銭を落ち着いて出すことを意識しよう、この前歯医者で小銭を出そうとしたら手が震えてしまい、小銭を床にばらまいて恥をかいたからな。なまけもの on Twitter: "歯医者だん。受け答えが相変わらず挙動不審。会計でもたつき小銭をばらまく。" )

 

脳内店員「ポイントカードはお持ちですか」

 

脳内の脳内わし(いやまて、ポイントカードはどのタイミングで聞かれるんだっけか。わからぬ。まあいいか。とにかく聞かれたら無いから大丈夫ですと答えよう。てか最近はポイントカードお持ちですかとかも聞かれないような気もするがまあいいや。)

 

脳内わし「大丈夫です。」

 

(商品とおつりを受け取りそそくさと逃げる)

 

 

完璧である。

あとは店に入るだけだ。

勘違いすることなかれ、まだ店に入っていないからな。これは脳内劇場だ。

いつもこうしてシュミレーションをしているのだ。自分のセリフを前々から考えておかなくちゃ喋れないのだ。

このシュミレーションが無いと人の言葉を話す事は困難になり、ちんぷんかんぷんな身震いしている奴になってしまう。

 

このようにして日常におけるあらゆる困難を回避することができる。

 

のだが、失敗する事もある。

具体例が浮かばないのだけれど、人との会話が終わり帰路につくと

わし「ああ、あんときああ言えばよかったなあ」

とか

わし「あそこ、あんなこと言う必要無かったなあ」

と1人脳内反省会をすることで次に活かす事ができるのだ。

 

若干誇張しすぎている部分もあるけれど、このようにして日々のコミュニケーションをくぐり抜けているのだ。

 

 

性善説の話

人の本性が善か悪かなんて断言する自信なんてない(抽象的な話題だし、大体の事は二元論で語るべきではないと思うし、そもそも善とはなんなのか、悪とはなんなのかという定義すら曖昧で考え出すと頭がかち割れそう、、善悪なんてなんとなくその時の社会が決めるもの、、、)のだけれど、どちらかといったら性善説派である。ということをなんとなく書いておきたいと思ったので書いていく。

 

何らかの悪事(ここではその社会で悪とされている事を指して言う)を犯してしまったとして、例えば物を盗んだとしたら、その行為自体は確かに悪い事だとは思う。だけれど、悪事を起こした原因、つまり本性の部分はまた悪事とは別にあるというか、なんというかうまく言語化できないのだけれど、、、

 

悪事を犯した原動力が「ひもじかったから盗んじまった」とか「恨んでいて殺しちまった」っていう風に別の理由からきていて、純粋悪ではない事が多いと思うんだ。。

 

(書いててなんか自信なくしてきた

なにいってんだこいつって目で見てんだろそこのお前w)

 

そもそも純粋悪とはなんだとか聞かれると答えずらいのだが、、

 

自分の中でちゃんとまとまってなく、言葉が見当たらない段階でこの文章を書いてしまっている故ご容赦くだせえ。(客観的に見たら突っ込み所満載なんだろうなぁ、)

 

話を戻して、仮に快楽殺人のような悪事の原動力が他の事情ではないパターンを想定してみる。

 

あきらかな純粋悪に見えるけど、これもまだ救いようがあるように思える。

 

快楽殺人のような前頭葉が萎縮しちまってるようなサイコはそもそもどこからやってきたんだ?

普通の環境で産まれ育ってそのようなサイコが産まれるのだろうか。

 

例えばアメリカのシリアルキラーであるテッドバンディを例に上げてみると、彼の生い立ちが複雑だった事がわかる。祖父母の事を両親と、母の事を姉と教え込まれて育ったりした。(詳しくは長くなりそうだからググって。)

 

あまりに具体例が少なくて申し訳ないのだけれど、まあ何が言いたいかというと、純粋悪に見えてもその純粋悪ができあがってしまった背景にもまた事情があるわけで、仮に彼が普通の環境で産まれ育っていたとして同じ過ちを犯していたかというとそうではないと思う。思ってしまう。

 

彼のような、てか他のあまねく凶悪犯罪者もだけど、生まれながらにして凶悪な道に進むように脳にプログラムされていた、人を殺すようにプログラムされていたとは考えにくい。やはり環境によって左右されたと思ってしまう。

 

そこには不遇だったとか他に事情があった訳でやっぱり人間の根本原因、本性が悪とは考えにくい。

 

まとまったかな、いやそうでもないかもうなんかめんどくさくなってきたおわりだーうんこうんこ